今回の「お題」は
コレです。
東浩紀公式ブログ渦状言論
「CLANNADと筑駒」
昨日、「ゼロ年代の想像力」著者の宇野常寛氏にインタビューを受けてきました。
例によって、『AIR』や『CLANNAD』は援助交際肯定文学であり、それを擁護する東浩紀はケシカランという話になったわけですが、そんな僕は予想どおり、今期のアニメは『CLANNAD』ぐらいしか観ていません。援助交際肯定と言われようがなんだろうが、渚と風子には神が宿っていると信じている今日このごろです。
コレについて「読解?」したいと思います。 まず、最初に自分は「東浩紀さん」および「宇野常寛さん」のことは、よく知りません。
ですので、このインタビューが、どういった雰囲気の元どういう意図をもって発言されたのかは、はかりしることはできません。
とりあえず、『AIR』や『CLANNAD』は援助交際肯定文学であり、という一文を頭ごなしに否定するのではなく、とりあえず、どういう取り方なのだろうと想像してみますと。
まず、「AIR」・・・これは俗に言う「援助交際」というイメージを逆転して考えてみる。
主人公「国崎往人」が、ヒロインの家に「居候」すること、「バイト」先で止めてもらうこと、「お米券」を貰うこと・・・つまり、「援助」されている「国崎往人」ということで「援助交際肯定文学」・・・・
次「CLANNAD」・・・これを「援助交際肯定文学」というのは、かなりキツイ。
どうキツイかといわれたら「AIR」を「恋愛モノ」だと言い張るくらいにキツイ・・・。
人それぞれですし、そういう要素がどこかしらに感じられたのでしょうが・・。
よくわからないですね。
とりあえず、今週「CLANNAD」のTVアニメが始まりますし、最後完結してからでも、また考えてみることにします。
では、おしまい。