富や、権力など、野心をもたない人にとっては、無価値なものだ。
たとえ、価値を見出していたとしても、そこに自分をみいだせなければ、やはり真価はえられないだろう。
真価とは、なんだ・・・
自分で、いってってそんなものがあるか、はなはな疑問である。
この日本社会の歪んだ体制にメスをとか、マスコミが・・・とか、学校関係者が・・・っとか、イジメた連中とか、そんなことは、今回取り上げる気はさらさらない。
ただ、誰かのメッセージや人の心を、信じるというのは違うと思う。
さて、「価値」だが、それは、「モノ」にも「ヒト」にもあてはまる。
そのヒトに、とっての重要な人と他人との「価値」
大切な思い出というのもある。
出会いに、価値を求めるひともいれば、別れに価値をみいだす人もいる。
あなたの大切な「価値」は、どこにありますか?
罰に「価値観」が、すべてだとは思わないが、「価値観」に左右されることが多いのも事実なのだ。
そして、自分に「価値」を見出すこれが難しいことだと思っている。
自分に、とっての「自分の価値」というのは認識がどうしても甘くなるような気がするからだ。
第三者の視点からの「価値」が必要になると同時にそれも、自分であるということ・・・それが、認識すずらい原因なのかな?
さて、今回はこれまでです!
読んでくださった人いたら、「言葉遊び」に、付き合ってくださってありがとやした。
ではでは、おしまぃ。
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