友達が、「智代アフター」をやって「朋也」の選択は無責任だという話をしていたのを思い出しました。
あの閉ざされた村に「とも」をおいていくのではなく、「朋也」はあの村で「とも」と一緒に村に残るという選択をするべきじゃないのかっと・・・。
でも、自分は書いていて思ったんです。
それって、「朋也達」が「家族ごっこ」していた続きではないのかと・・・。
楽しいことが一杯な人生は楽しいでしょうが、人間そうなると堕落してしまいますし、幸せの感覚が麻痺してしまうと思うのですよ。
無論、村に残る残らないも、朋也達自身の意思だと思うんです。
智代が、この村で「ともとの生活」を手放したくない為に、盲目的になっていく。
その過程で、自分は「CLANNAD」の「渚」を何故か思い出しました。
「智代」は、「CLANNAD」において苗字の通り「坂の上」の存在。
すでに、坂を登りきった先にいた「智代」とのぼれずに立ち尽くしていた「渚」。
「智代アフター」の「智代」は脆い・・・。
そうどこかで聞いたのは、智代アフタークリア後の衝撃を緩和すべくネットで、カチャカチャといろいろ探索してみたりしていたころのどこかのサイトさんかもしれませんね。
自分は・・「智代」はなんというか「繊細」なイメージがあります。
やっすッポイイメージかもしれませんが「CDケース」
大切なCDを、守るものですが・・・
ちょっとしたことで、すぐに傷ついてしまう。
でも、大抵の人はその傷のことを、「たいしたことない」っという。
そんなイメージです、わかりづらくてすみません。
あと、個人的に「とも」との決別のシーン「智代」はいうまでもないのですが、「鷹文」「河奈子」のも、地味ですが好きだったりします。
では、こんくらいなところで、今回おしまいです!
おしまい。
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