「鷹文」の願いはいったいなんだったのでしょうね・・。
悪夢という苦しみから逃れること、今のにっちもいかない自分でもわかっているのだけど、なんともならないできない閉塞感の打破?
わかっているけど、抜け出せない状況っというのはどこにでもある。
そう、どこにでもあること。
自分でした行動が思いもよらない結果をうみだす。
きっと、それは時間が解決してくれることもある。
しかし、明確ではない解決は自分を周りを縛っていってしまう。
きっかけを掴むのは簡単でいて難しいです。
「許す」側の人は「何を」許すのかわからずに「許して欲しい」側は「それでも、救い手のを求めてくる」・・・
「鷹文」と「河南子」の件は一例だけど、「許す側」と「許される側」の「許し」という行為の重みは大抵違うものである。
生きるって難しいですね。
ってな、ところでおしまい!
おしまい!
追記 「河南子」の「許すよ」に救われた気分の自分がいたww
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